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Aṅguttara Nikāya 1 増支部経典 一集

21. Paṭhamavagga 第二十一 第一

268

“Aṭṭhānametaṁ, bhikkhave, anavakāso yaṁ diṭṭhisampanno puggalo kañci saṅkhāraṁ niccato upagaccheyya. Netaṁ ṭhānaṁ vijjati. 「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人がある状況が永続するとみなす事は不可能で起こり得ません。あり得ません。

Ṭhānañca kho etaṁ, bhikkhave, vijjati yaṁ puthujjano kañci saṅkhāraṁ niccato upagaccheyya. Ṭhānametaṁ vijjatī”ti. しかし、凡人がある状況は永続するとみなす事は可能です。あり得ます。」

269

“Aṭṭhānametaṁ, bhikkhave, anavakāso yaṁ diṭṭhisampanno puggalo kañci saṅkhāraṁ sukhato upagaccheyya. Netaṁ ṭhānaṁ vijjati. 「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人がある状況は心地良いとみなす事は不可能で起こり得ません。あり得ません。

Ṭhānañca kho etaṁ, bhikkhave, vijjati yaṁ puthujjano kañci saṅkhāraṁ sukhato upagaccheyya. Ṭhānametaṁ vijjatī”ti. しかし、凡人がある状況は心地良いとみなすことは可能です。あり得ます。」

270

“Aṭṭhānametaṁ, bhikkhave, anavakāso yaṁ diṭṭhisampanno puggalo kañci dhammaṁ attato upagaccheyya. Netaṁ ṭhānaṁ vijjati. 「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が何かを自分だとみなす事は不可能で起こり得ません。あり得ません。

Ṭhānañca kho etaṁ, bhikkhave, vijjati yaṁ puthujjano kañci dhammaṁ attato upagaccheyya. Ṭhānametaṁ vijjatī”ti. しかし、凡人がなにかを自分とみなすことは可能です。あり得ます。」

271

“Aṭṭhānametaṁ, bhikkhave, anavakāso yaṁ diṭṭhisampanno puggalo mātaraṁ jīvitā voropeyya. Netaṁ ṭhānaṁ vijjati. 「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が自分の母親を殺す事は不可能で起こり得ません。あり得ません。

Ṭhānañca kho, bhikkhave, vijjati yaṁ puthujjano mātaraṁ jīvitā voropeyya. Ṭhānametaṁ vijjatī”ti. しかし、凡人が自分の母親を殺す事は可能です。あり得ます。」

272

“Aṭṭhānametaṁ, bhikkhave, anavakāso yaṁ diṭṭhisampanno puggalo pitaraṁ jīvitā voropeyya. Netaṁ ṭhānaṁ vijjati. 「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が自分の父親を殺す事は不可能で起こり得ません。あり得ません。

Ṭhānañca kho etaṁ, bhikkhave, vijjati yaṁ puthujjano pitaraṁ jīvitā voropeyya. Ṭhānametaṁ vijjatī”ti. しかし、凡人が自分の父親を殺す事は可能です。あり得ます。」

273

“Aṭṭhānametaṁ, bhikkhave, anavakāso yaṁ diṭṭhisampanno puggalo arahantaṁ jīvitā voropeyya. Netaṁ ṭhānaṁ vijjati. 「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が大成者(阿羅漢)を殺す事は不可能で起こり得ません。あり得ません。

Ṭhānañca kho etaṁ, bhikkhave, vijjati yaṁ puthujjano arahantaṁ jīvitā voropeyya. Ṭhānametaṁ vijjatī”ti. しかし、凡人が大成者(阿羅漢)を殺す事は可能です。あり得ます。」

274

“Aṭṭhānametaṁ, bhikkhave, anavakāso yaṁ diṭṭhisampanno puggalo tathāgatassa paduṭṭhacitto lohitaṁ uppādeyya. Netaṁ ṭhānaṁ vijjati. 「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が悟った方を悪意から傷つける事は不可能で起こり得ません。あり得ません。

Ṭhānañca kho etaṁ, bhikkhave, vijjati yaṁ puthujjano tathāgatassa paduṭṭhacitto lohitaṁ uppādeyya. Ṭhānametaṁ vijjatī”ti. しかし、凡人が悟った方を悪意から傷つける事は可能です。あり得ます。」

275

“Aṭṭhānametaṁ, bhikkhave, anavakāso yaṁ diṭṭhisampanno puggalo saṅghaṁ bhindeyya. Netaṁ ṭhānaṁ vijjati. 「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が僧侶の一団を分裂させる事は不可能で起こり得ません。あり得ません。

Ṭhānañca kho etaṁ, bhikkhave, vijjati yaṁ puthujjano saṅghaṁ bhindeyya. Ṭhānametaṁ vijjatī”ti. しかし、凡人が僧侶の一団を分裂させる事は可能です。あり得ます。」

276

“Aṭṭhānametaṁ, bhikkhave, anavakāso yaṁ diṭṭhisampanno puggalo aññaṁ satthāraṁ uddiseyya. Netaṁ ṭhānaṁ vijjati. 「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が(ブッダと)違う人を先生だと認める事は不可能で起こり得ません。あり得ません。

Ṭhānañca kho etaṁ, bhikkhave, vijjati yaṁ puthujjano aññaṁ satthāraṁ uddiseyya. Ṭhānametaṁ vijjatī”ti. しかし、凡人が(ブッダと)違う人を先生だと認める事は可能です。あり得ます。」

277

“Aṭṭhānametaṁ, bhikkhave, anavakāso yaṁ ekissā lokadhātuyā dve arahanto sammāsambuddhā apubbaṁ acarimaṁ uppajjeyyuṁ. Netaṁ ṭhānaṁ vijjati. 「托鉢僧侶たちよ、二人の大成者、完全に目覚めたブッダが同時に同じ太陽系に現れる事は不可能で起こり得ません。あり得ません。

Ṭhānañca kho etaṁ, bhikkhave, vijjati yaṁ ekissā lokadhātuyā ekova arahaṁ sammāsambuddho uppajjeyya. Ṭhānametaṁ vijjatī”ti. しかし、大成者、完全に目覚めたブッダが一人だけある太陽系に現れる事は可能です。あり得ます。」

Vaggo paṭhamo.
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