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Aṅguttara Nikāya 2 増支部経典 二集
4. Samacittavagga 第四 安らかな心 (等心品)
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“Asappurisabhūmiñca vo, bhikkhave, desessāmi sappurisabhūmiñca. 「托鉢僧侶たちよ、私が悪人の水準と善人の水準を教えましょう。
Taṁ suṇātha, sādhukaṁ manasi karotha. bhāsissāmī”ti. 聞いて、注意して考えなさい。私が今から話します。」
“Evaṁ, bhante”ti kho te bhikkhū bhagavato paccassosuṁ. 「先生」と托鉢僧侶たちは答えました。
Bhagavā etadavoca: ブッダはこう言いました。
“Katamā ca, bhikkhave, asappurisabhūmi? 「悪人の水準は何ですか。」
Asappuriso, bhikkhave, akataññū hoti akatavedī. 悪人は恩知らずで感謝しません。
Asabbhi hetaṁ, bhikkhave, upaññātaṁ yadidaṁ akataññutā akataveditā. というのも不道徳的な者は恩知らずで感謝しないことしか知らないからです。
Kevalā esā, bhikkhave, asappurisabhūmi yadidaṁ akataññutā akataveditā. (…) 恩知らずで感謝しないことが、悪人の水準の全てです。
Sappuriso ca kho, bhikkhave, kataññū hoti katavedī. 善人は恩を知っていて感謝します。
Sabbhi hetaṁ, bhikkhave, upaññātaṁ yadidaṁ kataññutā kataveditā. というのも善人は恩を知っていて感謝することしか知らないからです。
Kevalā esā, bhikkhave, sappurisabhūmi yadidaṁ kataññutā kataveditā”ti. 恩を知っていて感謝することが、善人の水準の全てです。」
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“Dvinnāhaṁ, bhikkhave, na suppatikāraṁ vadāmi. 「托鉢僧侶たちよ、この二人には簡単に恩返しが出来ないと私は言います。
Katamesaṁ dvinnaṁ? どの二人でしょうか。
Mātu ca pitu ca. 母親と父親です。
Ekena, bhikkhave, aṁsena mātaraṁ parihareyya, ekena aṁsena pitaraṁ parihareyya vassasatāyuko vassasatajīvī so ca nesaṁ ucchādanaparimaddananhāpanasambāhanena. たとえ母親を一方の肩に、父親をもう一方の肩に背負った状態で100年生きたとしても、そして彼らに軟膏を塗ってあげて、マッサージをしてあげて、お風呂にいれてあげて、体を洗ってあげたとして、
Te ca tattheva muttakarīsaṁ cajeyyuṁ, na tveva, bhikkhave, mātāpitūnaṁ kataṁ vā hoti paṭikataṁ vā. そしてそこで彼らが大小便をしたとしても、両親に十分に恩返しが出来たとは言えないでしょう。
Imissā ca, bhikkhave, mahāpathaviyā pahūtarattaratanāya mātāpitaro issarādhipacce rajje patiṭṭhāpeyya, na tveva, bhikkhave, mātāpitūnaṁ kataṁ vā hoti paṭikataṁ vā. たとえ両親を七つの宝が豊富にあるこの地の最高権力者の地位につかせても、十分な恩返しが出来たとは言えないでしょう。
Taṁ kissa hetu? どうしてでしょうか。
Bahukārā, bhikkhave, mātāpitaro puttānaṁ āpādakā posakā imassa lokassa dassetāro. 両親は子供に大変よくしてくれます。子供を育て、養い、この世界を見せてくれます。
Yo ca kho, bhikkhave, mātāpitaro assaddhe saddhāsampadāya samādapeti niveseti patiṭṭhāpeti, dussīle sīlasampadāya samādapeti niveseti patiṭṭhāpeti, maccharī cāgasampadāya samādapeti niveseti patiṭṭhāpeti, duppaññe paññāsampadāya samādapeti niveseti patiṭṭhāpeti, ettāvatā kho, bhikkhave, mātāpitūnaṁ katañca hoti paṭikatañcā”ti. しかし、信頼に欠ける両親に信頼する事を、不道徳な両親に道徳的な行為を、けちな両親に出し惜しみしない寛大さを、無知な両親に智慧を持つ事を励まし定着させて確立させるなら、十分に恩返しをしたことになります。」
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Atha kho aññataro brāhmaṇo yena bhagavā tenupasaṅkami; upasaṅkamitvā bhagavatā saddhiṁ sammodi. Sammodanīyaṁ kathaṁ …pe… ekamantaṁ nisinno kho so brāhmaṇo bhagavantaṁ etadavoca: その時、あるバラモンがブッダの所に行って、挨拶を交わしました。挨拶と礼儀正しい会話が終わると、バラモンは片側に座ってブッダに言いました。
“kiṁvādī bhavaṁ gotamo kimakkhāyī”ti? 「ゴータマ先生は何を教えるのですか。何を説明するのですか。」
“Kiriyavādī cāhaṁ, brāhmaṇa, akiriyavādī cā”ti. 「バラモンよ、わたしは行うべき事と行うべきではない事を教えます。」
“Yathākathaṁ pana bhavaṁ gotamo kiriyavādī ca akiriyavādī cā”ti? 「どのようにゴータマ先生は行うべき事と行うべきではない事を教るのですか。」
“Akiriyaṁ kho ahaṁ, brāhmaṇa, vadāmi kāyaduccaritassa vacīduccaritassa manoduccaritassa, anekavihitānaṁ pāpakānaṁ akusalānaṁ dhammānaṁ akiriyaṁ vadāmi. 「体、言葉、心による悪い行為と、様々な技量がないと言える行為をすべきではない事を教えます。
Kiriyañca kho ahaṁ, brāhmaṇa, vadāmi kāyasucaritassa vacīsucaritassa manosucaritassa, anekavihitānaṁ kusalānaṁ dhammānaṁ kiriyaṁ vadāmi. 体、言葉、心による良い行為と、様々な技量があると言える行為をすべきである事を教えます。
Evaṁ kho ahaṁ, brāhmaṇa, kiriyavādī ca akiriyavādī cā”ti. これらが私が教える行うべき事と行うべきではない事です。」
“Abhikkantaṁ, bho gotama …pe… upāsakaṁ maṁ bhavaṁ gotamo dhāretu ajjatagge pāṇupetaṁ saraṇaṁ gatan”ti. 「素晴らしい、ゴータマ氏… 今日以後、ゴータマ先生が私を生涯帰依した一般人の弟子と覚えておいてくださるように。」
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Atha kho anāthapiṇḍiko gahapati yena bhagavā tenupasaṅkami; upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinno kho anāthapiṇḍiko gahapati bhagavantaṁ etadavoca: その時、在家のアナータピンディカはブッダの所に行き、お辞儀をして、片側に座って、ブッダに言いました。
“kati nu kho, bhante, loke dakkhiṇeyyā, kattha ca dānaṁ dātabban”ti? 「先生、この世界で一体どんな人達が宗教的な施しに値しますか。また贈り物はどこに贈るべきですか。」
“Dve kho, gahapati, loke dakkhiṇeyyā—「在家よ、二人がこの世界で宗教的な施しに値します。
sekho ca asekho ca. 訓練している人とその先生です。
Ime kho, gahapati, dve loke dakkhiṇeyyā, ettha ca dānaṁ dātabban”ti. これら二人がこの世界で宗教的な施しに値して、贈り物はここに贈るべきです。」
Idamavoca bhagavā. このようにブッダは言いました。
Idaṁ vatvāna sugato athāparaṁ etadavoca satthā: そして、成就した方である先生は続けて言いました。
“Sekho asekho ca imasmiṁ loke, この世界では訓練している人とその先生が
Āhuneyyā yajamānānaṁ honti; 捧げ物を贈る人たちからの施しに値します。
Te ujjubhūtā kāyena, 彼らは体においてまっすぐであり、
Vācāya uda cetasā; 言葉と心においてもそうです。
Khettaṁ taṁ yajamānānaṁ, 彼らは捧げ物を贈る人たちの畑です。
Ettha dinnaṁ mahapphalan”ti. ここに贈れば素晴らしい実を結ぶでしょう。」
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Evaṁ me sutaṁ—私はこのように聞きました。
ekaṁ samayaṁ bhagavā sāvatthiyaṁ viharati jetavane anāthapiṇḍikassa ārāme. ある時、ブッダはサーヴァッティーの近くにあるジェータ林のアナータピンディカ寺院に滞在していました。
Tena kho pana samayena āyasmā sāriputto sāvatthiyaṁ viharati pubbārāme migāramātupāsāde. その時、サーリプッタさまはサーヴァッティーの近くにある東方寺院のミガーラの母の高床式住居に滞在していました。
Tatra kho āyasmā sāriputto bhikkhū āmantesi: サーリプッタは托鉢僧侶たちに呼びかけました。
“āvuso bhikkhave”ti. 「友で敬うべき托鉢僧侶たちよ。」
“Āvuso”ti kho te bhikkhū āyasmato sāriputtassa paccassosuṁ. 「友で敬うべき方よ」と托鉢僧侶たちは答えました。
Āyasmā sāriputto etadavoca: サーリプッタはこう言いました。
“ajjhattasaṁyojanañca, āvuso, puggalaṁ desessāmi bahiddhāsaṁyojanañca. 「内側への足かせがはめられた者と外側への足かせがはめられた者について教えます。
Taṁ suṇātha, sādhukaṁ manasi karotha, bhāsissāmī”ti. 聞いて、注意して考えなさい。私が今から話します。」
“Evamāvuso”ti kho te bhikkhū āyasmato sāriputtassa paccassosuṁ. 「はい」と彼らは答えました。
Āyasmā sāriputto etadavoca: サーリプッタはこう言いました。
“Katamo cāvuso, ajjhattasaṁyojano puggalo? 「内側への足かせがはめられた者は誰ですか。
Idhāvuso, bhikkhu sīlavā hoti, pātimokkhasaṁvarasaṁvuto viharati ācāragocarasampanno, aṇumattesu vajjesu bhayadassāvī, samādāya sikkhati sikkhāpadesu. 道徳的で、托鉢僧侶戒律で節制し、日常行為がよく、適切な場所に托鉢に行く托鉢僧侶です。ほんの少しの過ちでも危険性を見て、訓練として受け入れた戒律を守ります。
So kāyassa bhedā paraṁ maraṇā aññataraṁ devanikāyaṁ upapajjati. その人は体がばらばらになる死後に神界の一つに生まれ変わります。
So tato cuto āgāmī hoti, āgantā itthattaṁ. そこで死ぬとその人は帰還する人で、この人間界に帰ってきます。
Ayaṁ vuccati, āvuso, ajjhattasaṁyojano puggalo āgāmī hoti, āgantā itthattaṁ. この人が内側への足かせがはめられた者で、帰還する人、この人間界に帰ってくる人です。
Katamo cāvuso, bahiddhāsaṁyojano puggalo? 外側への足かせがはめられた者は誰ですか。
Idhāvuso, bhikkhu sīlavā hoti, pātimokkhasaṁvarasaṁvuto viharati ācāragocarasampanno, aṇumattesu vajjesu bhayadassāvī, samādāya sikkhati sikkhāpadesu. 道徳的で、托鉢僧侶戒律で節制し、日常行為がよく、適切な場所に托鉢に行く托鉢僧侶です。ほんの少しの過ちでも危険性を見て、訓練として受け入れた戒律を守ります。
So aññataraṁ santaṁ cetovimuttiṁ upasampajja viharati. その人はある安らかで心が解放された状態に入り、その状態のままでいます。
So kāyassa bhedā paraṁ maraṇā aññataraṁ devanikāyaṁ upapajjati. その人は体がばらばらになる死後に神界の一つに生まれ変わります。
So tato cuto anāgāmī hoti, anāgantā itthattaṁ. そこで死ぬとその人は帰還しない人で、この人間界に帰ってきません。
Ayaṁ vuccatāvuso, bahiddhāsaṁyojano puggalo anāgāmī hoti, anāgantā itthattaṁ. この人が外側への足かせがはめられた者で、帰還しない人、この人間界に帰ってこない人です。
Puna caparaṁ, āvuso, bhikkhu sīlavā hoti …pe… samādāya sikkhati sikkhāpadesu. さらに、ある托鉢僧侶は道徳的で、托鉢僧侶戒律で節制し、行動がよく、適切な場所に托鉢に行きます。ほんの少しの過ちでも危険性を見て、訓練として受け入れた戒律を守ります。
So kāmānaṁyeva nibbidāya virāgāya nirodhāya paṭipanno hoti. その人は、五感の快楽への幻滅、それへの欲が消失し滅び尽きるように只々修行します。
So bhavānaṁyeva nibbidāya virāgāya nirodhāya paṭipanno hoti. その人は、将来生まれ変わり続ける事への幻滅、それへの欲が消失し滅び尽きるように只々修行します。
So taṇhākkhayāya paṭipanno hoti. その人は渇望がなくなるように修行しています。
So lobhakkhayāya paṭipanno hoti. その人は貪欲さがなくなるように修行しています。
So kāyassa bhedā paraṁ maraṇā aññataraṁ devanikāyaṁ upapajjati. その人は体がばらばらになる死後に神界の一つへ生まれ変わります。
So tato cuto anāgāmī hoti, anāgantā itthattaṁ. そこで死ぬとその人は帰還しない人で、この人間界に帰ってきません。
Ayaṁ vuccatāvuso, bahiddhāsaṁyojano puggalo anāgāmī hoti, anāgantā itthattan”ti. この人が外側への足かせがはめられた者で、帰還しない人、この人間界に帰ってこない人です。」
Atha kho sambahulā samacittā devatā yena bhagavā tenupasaṅkamiṁsu; upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ aṭṭhaṁsu. Ekamantaṁ ṭhitā kho tā devatā bhagavantaṁ etadavocuṁ: その時、多くの安らかな心を持った神々はブッダの所に行き、お辞儀をして、片側に座って、ブッダに言いました。
“eso, bhante, āyasmā sāriputto pubbārāme migāramātupāsāde bhikkhūnaṁ ajjhattasaṁyojanañca puggalaṁ deseti bahiddhāsaṁyojanañca. 「先生、サーリプッタさまが東方寺院のミガーラの母の高床式住居で、托鉢僧侶たちに内側への足かせがはめられた者と外側への足かせがはめられた者について教えています。
Haṭṭhā, bhante, parisā. 集まっていた人は大喜びです。
Sādhu, bhante, bhagavā yenāyasmā sāriputto tenupasaṅkamatu anukampaṁ upādāyā”ti. 先生、どうか同情心からサーリプッタさまの所にいらして下さいませんか。」
Adhivāsesi bhagavā tuṇhībhāvena. ブッダは黙ったまま承諾した。
Atha kho bhagavā—seyyathāpi nāma balavā puriso samiñjitaṁ vā bāhaṁ pasāreyya, pasāritaṁ vā bāhaṁ samiñjeyya; evamevaṁ—jetavane antarahito pubbārāme migāramātupāsāde āyasmato sāriputtassa sammukhe pāturahosi. そして、ブッダは、力持ちの人が自分の腕を簡単に伸ばしたり曲げたりするのと同じ様に、いとも簡単にジェータ林から消え去り、東方寺院のミガーラの母の高床式住居にいるサーリプッタの前に現れた。
Nisīdi bhagavā paññatte āsane. ブッダは用意された座に座った。
Āyasmāpi kho sāriputto bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi. サーリプッタはブッダにお辞儀をして、片側に座りました。
Ekamantaṁ nisinnaṁ kho āyasmantaṁ sāriputtaṁ bhagavā etadavoca: ブッダは言いました。
“Idha, sāriputta, sambahulā samacittā devatā yenāhaṁ tenupasaṅkamiṁsu; upasaṅkamitvā maṁ abhivādetvā ekamantaṁ aṭṭhaṁsu. Ekamantaṁ ṭhitā kho, sāriputta, tā devatā maṁ etadavocuṁ: 「サーリプッタよ、たった今、多くの安らかな心を持った神々が私の所にやって来て、お辞儀をして、片側に座りました。その神々は私に言いました。
‘eso, bhante, āyasmā sāriputto pubbārāme migāramātupāsāde bhikkhūnaṁ ajjhattasaṁyojanañca puggalaṁ deseti bahiddhāsaṁyojanañca. 『先生、サーリプッタさまが東方寺院のミガーラの母の高床式住居で、托鉢僧侶たちに内側への足かせがはめられた者と外側への足かせがはめられた者について教えています。
Haṭṭhā, bhante, parisā. 集まっていた人は大喜びです。
Sādhu, bhante, bhagavā yena āyasmā sāriputto tenupasaṅkamatu anukampaṁ upādāyā’ti. 先生、どうか同情心からサーリプッタさまの所にいらして下さいませんか』と。
Tā kho pana, sāriputta, devatā dasapi hutvā vīsampi hutvā tiṁsampi hutvā cattālīsampi hutvā paññāsampi hutvā saṭṭhipi hutvā āraggakoṭinitudanamattepi tiṭṭhanti, na ca aññamaññaṁ byābādhenti. その神々は数が10、20、30、40、50、60でも全員がぶつかり合うことなく針の先に立つ事が出来ます。
Siyā kho pana, sāriputta, evamassa: サーリプッタよ、あなたはこのように思うかもしれません。
‘tattha nūna tāsaṁ devatānaṁ tathā cittaṁ bhāvitaṁ yena tā devatā dasapi hutvā vīsampi hutvā tiṁsampi hutvā cattālīsampi hutvā paññāsampi hutvā saṭṭhipi hutvā āraggakoṭinitudanamattepi tiṭṭhanti na ca aññamaññaṁ byābādhentī’ti. 『もちろんその神々はそれだけ多くの数で針の先にぶつかり合うことなく立つ事が出来るので、彼らは心をその場所で発達させたにちがいないと』と。
Na kho panetaṁ, sāriputta, evaṁ daṭṭhabbaṁ. しかし、そのように見るべきではありません。
Idheva kho, sāriputta, tāsaṁ devatānaṁ tathā cittaṁ bhāvitaṁ, yena tā devatā dasapi hutvā …pe… na ca aññamaññaṁ byābādhenti. その神々はまさしくここで心を発達させたのです。
Tasmātiha, sāriputta, evaṁ sikkhitabbaṁ: だからこのように訓練すべきです。
‘santindriyā bhavissāma santamānasā’ti. 『私達は様々な機能と心が安らかであるようにしよう』と。
Evañhi vo, sāriputta, sikkhitabbaṁ. このようにあなたは訓練すべきです。
‘Santindriyānañhi vo, sāriputta, santamānasānaṁ santaṁyeva kāyakammaṁ bhavissati santaṁ vacīkammaṁ santaṁ manokammaṁ. あなたの様々な機能と心が安らかな時、体、言葉、心による行動は安らかになり、こう考えるでしょう。
Santaṁyeva upahāraṁ upaharissāma sabrahmacārīsū’ti. 『私達は精神修行をしている仲間に安らぎの贈り物を贈ろう』と。
‘Evañhi vo, sāriputta, sikkhitabbaṁ. このようにあなたは訓練すべきです。
Anassuṁ kho, sāriputta, aññatitthiyā paribbājakā ye imaṁ dhammapariyāyaṁ nāssosun’”ti. サーリプッタよ、ほかの教えに従っている放浪者たちはこの教えを聞いたことがなくて、滅びてしまいます。」
37
Evaṁ me sutaṁ—私はこのように聞きました。
ekaṁ samayaṁ āyasmā mahākaccāno varaṇāyaṁ viharati bhaddasāritīre. ある時、マハーカッチャーナさまはワラナーのカッダマ胡の岸に滞在していました。
Atha kho ārāmadaṇḍo brāhmaṇo yenāyasmā mahākaccāno tenupasaṅkami; upasaṅkamitvā āyasmatā mahākaccānena saddhiṁ sammodi. その時、バラモンのアーラーマダンダがマハーカッチャーナの所に行って、挨拶を交わしました。
Sammodanīyaṁ kathaṁ sāraṇīyaṁ vītisāretvā ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinno kho ārāmadaṇḍo brāhmaṇo āyasmantaṁ mahākaccānaṁ etadavoca: 挨拶と礼儀正しい会話が終わると、バラモンは片側に座ってマハーカッチャーナに言いました。
“ko nu kho, bho kaccāna, hetu ko paccayo yena khattiyāpi khattiyehi vivadanti, brāhmaṇāpi brāhmaṇehi vivadanti, gahapatikāpi gahapatikehi vivadantī”ti? 「カッチャーナ氏、何が原因で、何が理由で、貴族達は貴族達と争い、バラモン達はバラモン達と争い、在家達は在家達と争うのですか。」
“Kāmarāgābhinivesavinibandhapaligedhapariyuṭṭhānajjhosānahetu kho, brāhmaṇa, khattiyāpi khattiyehi vivadanti, brāhmaṇāpi brāhmaṇehi vivadanti, gahapatikāpi gahapatikehi vivadantī”ti. 「なぜなら彼らは五感への貪欲さに固執し、束縛され、非常に欲が深く、没頭し、執着心があるので、貴族達は貴族達と争い、バラモン達はバラモン達と争い、在家達は在家達と争うのです。」
“Ko pana, bho kaccāna, hetu ko paccayo yena samaṇāpi samaṇehi vivadantī”ti? 「それなら、カッチャーナ氏、何が原因で、何が理由で、出家修行者は出家修行者と争うのですか。」
“Diṭṭhirāgābhinivesavinibandhapaligedhapariyuṭṭhānajjhosānahetu kho, brāhmaṇa, samaṇāpi samaṇehi vivadantī”ti. 「なぜなら彼らは自分の物の見かたに固執し、束縛され、非常に欲が深く、没頭し、執着心があるので、出家修行者は出家修行者と争うのです。」
“Atthi pana, bho kaccāna, koci lokasmiṁ yo imañceva kāmarāgābhinivesavinibandhapaligedhapariyuṭṭhānajjhosānaṁ samatikkanto, imañca diṭṭhirāgābhinivesavinibandhapaligedhapariyuṭṭhānajjhosānaṁ samatikkanto”ti? 「カッチャーナ氏、五感への貪欲さに固執する事と自分の物の見かたに固執する事を超えた人は世界に誰かいますか。」
“Atthi, brāhmaṇa, lokasmiṁ yo imañceva kāmarāgābhinivesavinibandhapaligedhapariyuṭṭhānajjhosānaṁ samatikkanto, imañca diṭṭhirāgābhinivesavinibandhapaligedhapariyuṭṭhānajjhosānaṁ samatikkanto”ti. 「バラモンよ、そういう人がいます。」
“Ko pana so, bho kaccāna, lokasmiṁ yo imañceva kāmarāgābhinivesavinibandhapaligedhapariyuṭṭhānajjhosānaṁ samatikkanto, imañca diṭṭhirāgābhinivesavinibandhapaligedhapariyuṭṭhānajjhosānaṁ samatikkanto”ti? 「世界で、五感への貪欲さに固執する事と自分の物の見かたに固執する事を超えた人は誰ですか。」
“Atthi, brāhmaṇa, puratthimesu janapadesu sāvatthī nāma nagaraṁ. 「東の陸地にサーワッティと呼ばれる都市があります。
Tattha so bhagavā etarahi viharati arahaṁ sammāsambuddho. そこにあがめ敬うべき方が今いらっしゃいます。大成者、完全に目覚めたブッダです。
So hi, brāhmaṇa, bhagavā imañceva kāmarāgābhinivesavinibandhapaligedhapariyuṭṭhānajjhosānaṁ samatikkanto, imañca diṭṭhirāgābhinivesavinibandhapaligedhapariyuṭṭhānajjhosānaṁ samatikkanto”ti. 「バラモンよ、ブッダは五感への貪欲さに固執する事と自分の物の見かたに固執する事を超えた人です。」
Evaṁ vutte, ārāmadaṇḍo brāhmaṇo uṭṭhāyāsanā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā dakkhiṇaṁ jāṇumaṇḍalaṁ pathaviyaṁ nihantvā yena bhagavā tenañjaliṁ paṇāmetvā tikkhattuṁ udānaṁ udānesi: このように言われて、バラモンのアーラーマダンダは席から立ち、袈裟を一方の肩にまとい、右膝をついて、ブッダに向かって合掌し、心からの言葉を3回言った。
“Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa. 「崇がめ敬うべき方、大成者、完全に目覚めたブッダに礼拝いたします。
Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa. 崇がめ敬うべき方、大成者、完全に目覚めたブッダに礼拝いたします。
Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa. 崇がめ敬うべき方、大成者、完全に目覚めたブッダに礼拝いたします。
Yo hi so bhagavā imañceva kāmarāgābhinivesavinibandhapaligedhapariyuṭṭhānajjhosānaṁ samatikkanto, imañca diṭṭhirāgābhinivesavinibandhapaligedhapariyuṭṭhānajjhosānaṁ samatikkanto”ti. ブッダはまさしく五感への貪欲さに固執する事と自分の物の見かたに固執する事を超えた人です。
“Abhikkantaṁ, bho kaccāna, abhikkantaṁ, bho kaccāna. 素晴らしい、カッチャーナ氏、素晴らしい。
Seyyathāpi, bho kaccāna, nikkujjitaṁ vā ukkujjeyya, paṭicchannaṁ vā vivareyya, mūḷhassa vā maggaṁ ācikkheyya; andhakāre vā telapajjotaṁ dhāreyya: ‘cakkhumanto rūpāni dakkhantī’ti; evamevaṁ bhotā kaccānena anekapariyāyena dhammo pakāsito. ひっくり返ったものを立て直すかのごとく、隠されたものをあらわにするかのごとく、道に迷った者に正しい道を示すかのごとく、闇に光をもたらして目が見える人がそこに何があるのか見えるようにするかのごとく、カッチャーナ先生は様々な点から教えをはっきりさせました。
Esāhaṁ, bho kaccāna, taṁ bhavantaṁ gotamaṁ saraṇaṁ gacchāmi dhammañca bhikkhusaṅghañca. 私はゴータマ先生、先生の教え、托鉢僧侶の一団に帰依します。
Upāsakaṁ maṁ bhavaṁ kaccāno dhāretu ajjatagge pāṇupetaṁ saraṇaṁ gatan”ti. 今日以後、ゴータマ先生が私を生涯帰依した一般人の弟子と覚えておいてくださるように。」
38
Ekaṁ samayaṁ āyasmā mahākaccāno madhurāyaṁ viharati gundāvane. ある時、マハーカッチャーナさまはマドゥーラの近くのグンダの林に滞在していました。
Atha kho kandarāyano brāhmaṇo yenāyasmā mahākaccāno tenupasaṅkami; upasaṅkamitvā āyasmatā mahākaccānena saddhiṁ …pe… ekamantaṁ nisinno kho kandarāyano brāhmaṇo āyasmantaṁ mahākaccānaṁ etadavoca: その時、バラモンのカンダラーヤナはマハーカッチャーナの所に行って、挨拶を交わしました。… カンダラーヤナは片側に座ってマハーカッチャーナに言いました。
“sutaṁ metaṁ, bho kaccāna, ‘na samaṇo kaccāno brāhmaṇe jiṇṇe vuddhe mahallake addhagate vayoanuppatte abhivādeti vā paccuṭṭheti vā āsanena vā nimantetī’ti. 「カッチャーナ氏、私は『出家修行者カッチャーナは年寄りの、年輩の、高齢者の、歳を重ね人生の最終期を迎えたバラモン達にはお辞儀をしないし、彼らを起立して迎えないし、席へも招かない』と聞きました。
Tayidaṁ, bho kaccāna, tatheva? そして、まさしくその通りです。
Na hi bhavaṁ kaccāno brāhmaṇe jiṇṇe vuddhe mahallake addhagate vayoanuppatte abhivādeti vā paccuṭṭheti vā āsanena vā nimanteti. 出家修行者カッチャーナは年寄りの、年輩の、高齢者の、晩年を迎えたバラモン達にはお辞儀をしないし、彼らを起立して迎えないし、席へも招きません。
Tayidaṁ, bho kaccāna, na sampannamevā”ti. これは適切ではありません、カッチャーナ氏。」
“Atthi, brāhmaṇa, tena bhagavatā jānatā passatā arahatā sammāsambuddhena vuddhabhūmi ca akkhātā daharabhūmi ca. 「あがめ敬うべき方、知っていて見える方、大成者、完全に目覚めたブッダにより年輩者の時期と若者の時期が示されました。
Vuddho cepi, brāhmaṇa, hoti āsītiko vā nāvutiko vā vassasatiko vā jātiyā, so ca kāme paribhuñjati kāmamajjhāvasati kāmapariḷāhena pariḍayhati kāmavitakkehi khajjati kāmapariyesanāya ussuko. もし年輩者が80歳、90歳、100歳でも、まだ五感の快楽の中に暮らしていて、それを楽しみ、それへの情熱に焼かれ、それへの思いに消費され、熱心にさらに求めるのなら、
Atha kho so bālo na therotveva saṅkhyaṁ gacchati. その者は幼い愚か者であり、長老と呼ぶには至りません。
Daharo cepi, brāhmaṇa, hoti yuvā susukāḷakeso bhadrena yobbanena samannāgato paṭhamena vayasā. もし青年が、若くて、髪が黒く、若さに溢れ、人生の最盛期で
So ca na kāme paribhuñjati na kāmamajjhāvasati, na kāmapariḷāhena pariḍayhati, na kāmavitakkehi khajjati, na kāmapariyesanāya ussuko. 五感の快楽の中に暮らさず、それを楽しみにせず、それへの情熱に焼かれず、それへの思いに消費されず、熱心にさらに求めないのなら、
Atha kho so paṇḍito therotveva saṅkhyaṁ gacchatī”ti. その者は賢明な人であり、長老と呼ぶに至ります。」
Evaṁ vutte, kandarāyano brāhmaṇo uṭṭhāyāsanā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā daharānaṁ sataṁ bhikkhūnaṁ pāde sirasā vandati: このように言われて、バラモンのカンダラーヤナは席から立ち、袈裟を一方の肩にまとい、若い托鉢僧侶たちの足元に頭をつけてお辞儀して言った。
“vuddhā bhavanto, vuddhabhūmiyaṁ ṭhitā. 「先生方は年輩です、年輩の段階にいらっしゃる。
Daharā mayaṁ, daharabhūmiyaṁ ṭhitā”ti. 我々は若者です、若者の段階にいます。
“Abhikkantaṁ, bho kaccāna …pe… upāsakaṁ maṁ bhavaṁ kaccāno dhāretu ajjatagge pāṇupetaṁ saraṇaṁ gatan”ti. 「素晴らしい、カッチャーナ氏… 今日以後、カッチャーナ先生が私を生涯帰依した一般人の弟子と覚えておいてくださるように。」
39
“Yasmiṁ, bhikkhave, samaye corā balavanto honti, rājāno tasmiṁ samaye dubbalā honti. 「盗賊たちに力がある時は君主たちには力がありません。
Tasmiṁ, bhikkhave, samaye rañño na phāsu hoti atiyātuṁ vā niyyātuṁ vā paccantime vā janapade anusaññātuṁ. そして、出たり入ったりする時や近く又は遠くの地を訪問する時に安心できません。
Brāhmaṇagahapatikānampi tasmiṁ samaye na phāsu hoti atiyātuṁ vā niyyātuṁ vā bāhirāni vā kammantāni paṭivekkhituṁ. バラモン達や在家達も同じで、出たり入ったりする時や事業の査察をする時に安心できません。
Evamevaṁ kho, bhikkhave, yasmiṁ samaye pāpabhikkhū balavanto honti, pesalā bhikkhū tasmiṁ samaye dubbalā honti. 同じ様に、悪い托鉢僧侶たちに力がある時は心の良い托鉢僧侶たちには力がありません。
Tasmiṁ, bhikkhave, samaye pesalā bhikkhū tuṇhībhūtā tuṇhībhūtāva saṅghamajjhe saṅkasāyanti paccantime vā janapade acchanti. そんな時は、心の良い托鉢僧侶たちは沈黙したまま僧侶の一団の中でじっとしているか、辺境の土地に滞在します。
Tayidaṁ, bhikkhave, hoti bahujanāhitāya bahujanāsukhāya, bahuno janassa anatthāya ahitāya dukkhāya devamanussānaṁ. これは大衆を傷つけ不幸にし、神々と人類に害を及ぼし、傷つけ、苦悩をもたらします。
Yasmiṁ, bhikkhave, samaye rājāno balavanto honti, corā tasmiṁ samaye dubbalā honti. 「君主たちに力がある時は盗賊たちには力がありません。
Tasmiṁ, bhikkhave, samaye rañño phāsu hoti atiyātuṁ vā niyyātuṁ vā paccantime vā janapade anusaññātuṁ. そして、君主たちは出たり入ったりする時や近く又は遠くの地を訪問する時に安心できます。
Brāhmaṇagahapatikānampi tasmiṁ samaye phāsu hoti atiyātuṁ vā niyyātuṁ vā bāhirāni vā kammantāni paṭivekkhituṁ. バラモン達や在家達も同じで、出たり入ったりする時や事業の査察をする時に安心できます。
Evamevaṁ kho, bhikkhave, yasmiṁ samaye pesalā bhikkhū balavanto honti, pāpabhikkhū tasmiṁ samaye dubbalā honti. 同じ様に、心の良い托鉢僧侶たちに力がある時は悪い托鉢僧侶たちには力がありません。
Tasmiṁ, bhikkhave, samaye pāpabhikkhū tuṇhībhūtā tuṇhībhūtāva saṅghamajjhe saṅkasāyanti, yena vā pana tena pakkamanti. そんな時は、悪い托鉢僧侶たちは沈黙したまま僧侶の一団の中でじっとしているか、どこか他の地に去って行きます。
Tayidaṁ, bhikkhave, hoti bahujanahitāya bahujanasukhāya, bahuno janassa atthāya hitāya sukhāya devamanussānan”ti. これは大衆の健康と幸福、神々と人類の利益と健康と幸福をもたらします。
40
“Dvinnāhaṁ, bhikkhave, micchāpaṭipattiṁ na vaṇṇemi, gihissa vā pabbajitassa vā. 「托鉢僧侶たちよ、私はこれら二つの集団、在家者と出家者に間違った修行法を褒め称えません。
Gihī vā, bhikkhave, pabbajito vā micchāpaṭipanno micchāpaṭipattādhikaraṇahetu na ārādhako hoti ñāyaṁ dhammaṁ kusalaṁ. 間違った修行法のため、在家者も出家者のどちらも妙を得ている教えを手順通りに全うしません。
Dvinnāhaṁ, bhikkhave, sammāpaṭipattiṁ vaṇṇemi, gihissa vā pabbajitassa vā. 托鉢僧侶たちよ、私はこれら二つの集団、在家者と出家者に正しい修行法を褒め称えます。
Gihī vā, bhikkhave, pabbajito vā sammāpaṭipanno sammāpaṭipattādhikaraṇahetu ārādhako hoti ñāyaṁ dhammaṁ kusalan”ti. 正しい修行法のため、在家者も出家者のどちらも妙を得ている教えを手順通りに全うします。」
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“Ye te, bhikkhave, bhikkhū duggahitehi suttantehi byañjanappatirūpakehi atthañca dhammañca paṭibāhanti te, bhikkhave, bhikkhū bahujanāhitāya paṭipannā bahujanāsukhāya, bahuno janassa anatthāya ahitāya dukkhāya devamanussānaṁ. 「托鉢僧侶たちよ、言い回しのうわべだけをまねて経典を誤って覚えることで、ある托鉢僧侶たちはその意味と教えをしめ出してしまいます。彼らは大衆を傷つけ不幸にし、神々と人類に害を及ぼし、傷つけ、苦悩をもたらす為に行動しています。
Bahuñca te, bhikkhave, bhikkhū apuññaṁ pasavanti, te cimaṁ saddhammaṁ antaradhāpenti. 彼らは多くの良くない報いのもとを作り真の教えを消滅させます。
Ye te, bhikkhave, bhikkhū suggahitehi suttantehi byañjanappatirūpakehi atthañca dhammañca anulomenti te, bhikkhave, bhikkhū bahujanahitāya paṭipannā bahujanasukhāya, bahuno janassa atthāya hitāya sukhāya devamanussānaṁ. しかし、言い回しのうわべだけをまねずに経典を正しく覚えることで、ある托鉢僧侶たちはその意味と教えを確固とさせています。彼らは大衆の健康と幸福、神々と人類の利益と健康と幸福の為に修行しています。
Bahuñca te, bhikkhave, bhikkhū puññaṁ pasavanti, te cimaṁ saddhammaṁ ṭhapentī”ti. 彼らは多くの良い報いのもとを作り真の教えを存続させます。」
Samacittavaggo catuttho.